いきもの深夜便
「魚を自分の物と思いなさい」と言われた。固定給5万円と売上の15%で、半年間、飛び込み営業をした話
卸の話

「魚を自分の物と思いなさい」と言われた。固定給5万円と売上の15%で、半年間、飛び込み営業をした話

書いた人: 管理人(熱帯魚歴30年・元ショップ店員・元卸売業者)

沈黙のあとで

休憩時間に、寡黙な社長から「君に向いているのは、この仕事じゃない。人と関わる仕事やで」と言われて、私は何も言い返せませんでした。パッキングの作業場には小さな昭和のストーブがあって、その上にのったやかんのお湯で、私は珈琲を飲んでいました。たまたま2人になったところで、ぼそっと言われたのです。

そのまま、2人で黙っていました。社長も私も、珈琲に口をつけるだけです。

しばらくして、社長が口を開きました。

「そうや、ここにいる魚を自分の物と思いなさい。んで、営業してきなさい。君は雇われているのも面白くないでしょうから、個人事業主としてやっていかないか?」

辞めろという話ではありませんでした。条件は、固定給が5万円で、あとは売上の15%です。あとでよく考えると、私は個人事業主でも何でもなかったのですが、話はそのまま決まりました。

前の日の電話

社長があの一言を言う気になったのは、その日の電話がきっかけだったようです。

来客があって、私が接客をして、お客さんが帰ったあとは、いつもの作業に戻りました。その翌日、私が営業をかけていた取引先から、電話がかかってきました。買うかどうか迷っていた相手です。

「そこまで推薦してくれるなら、買うわ」

社長は、その電話に出ている私の声色を聞いて、確信したらしいのです。休憩時間のあの一言は、電話のあとのことでした。

家のプリンターで刷った名刺

名刺は、家のプリンターで作りました。書いてあるのは、屋号と、電話番号と、住所だけです。電話番号は、私の携帯と、当時の店の番号を載せました。屋号は、いまは思い出せません。

ちょうどそのころ、光る魚のニュースが出ていました。入荷業者として名前が出たのは、私が働いていた卸です。くわしくは光る魚の話に書きましたが、屋号を変えるには都合のいい時期でした。

店主にニュースのことを振られたら、私は普通に答えていました。

「でも、違う店ですよって、言えるでしょ?」

そう言って笑うと、たいていの店主も笑いました。その卸は珍しい魚が多く、安くて状態のいい魚をそろえていたので、卸としては重宝されていた店です。ただ、あの卸と取引があると思われたくない店にとっては、屋号の違う私が、都合のいい存在になっていました。社長が屋号を変えて個人事業主でやりなさいと言ったのは、そのためだったのではないか。私はそう想像していますが、確かめたことはありません。

電話帳と雑誌で、店を探した

当時はインターネットがようやく広がりはじめたころで、ホームページのある店はほとんどありませんでした。店を調べるのは、電話帳と雑誌です。

電話をかけても出ない店には、とりあえず行ってみます。行ってみて、やっぱりやっていないことも、やっぱり休みだったこともありました。

飛び込みなので、門前払いも多く、客のふりをして店に入って、「実は」と切り出すこともありました。売上の大半は、社長がお情けのようにくれた既存の取引先です。新規の開拓はそれほど進まず、取れるのは小口の注文ばかりでした。

初めて「買うわ」と言われた店

初めて買うと言ってくれたのは、ショップ店員のころからお世話になっていた、私が常連だったプロショップです。

店主は、私が卸に転職したことも知っていました。ただ、卸の会社とは顔が知られているぶん、取引がしにくくて、少し足が遠のいていたそうです。

「お前が売るなら関係ないから買うわ」

そんな意味のことを言われました。祝儀買いのようなものです。

100万円の月と、5万円の月

いい月は、手取りで100万円くらいになりました。ただ、それは私の新規開拓の成果ではなく、社長がくれた既存の取引先の注文が重なった月です。ご祝儀のような月でした。

注文がない月は、固定給の5万円だけです。ほぼ毎日が空振りで、親にも心配されました。親の目には、私がふらふらしているように見えたようです。

ご祝儀の月から2か月ほどたったころ、私は社長にお礼をしたくなって、営業を止めて、水槽の管理に全振りしました。いま思えば、そのときは売上を上げることのほうが大事で、そちらのほうが恩返しでした。

半年ほどたったころ、家の会社が忙しくなってきて、手伝ってくれと言われました。私はそのまま、そこに入りました。人と関わる仕事です。