いきもの深夜便
雑誌をお客さんと一緒に読んでいた時代。2000年代前半のショップで見た、熱帯魚飼育の常識
ショップの話

雑誌をお客さんと一緒に読んでいた時代。2000年代前半のショップで見た、熱帯魚飼育の常識

書いた人: 管理人(熱帯魚歴30年・元ショップ店員・元卸売業者)

先に結論

  • 2000年代前半は、熱帯魚の情報の源が、ほぼ『アクアライフ』と『楽しい熱帯魚』の2誌だけでした。
  • 新種の飼い方は、みんなが同じ雑誌を読んで、同じことを試して、間違いにすぐ気づいていました。
  • いまは情報が増えたぶん、正しいかどうかを、自分で見きわめる必要があります。

情報は、雑誌が2誌だけだった

私がショップで働いていたのは、2000年代の前半です。そのころ、最新の熱帯魚の情報を手に入れる方法は、ほとんど雑誌しかありませんでした。『月刊アクアライフ』と『楽しい熱帯魚』の2誌です。どちらも、読者の投稿や、マニアの家を訪ねる企画が毎月載っていて、「チョコレートグラミーの繁殖に成功しました」といった記事が、とても印象に残っています。

お店でも雑誌を売っていたので、発売の前後には、必ず買いに来る常連さんがいました。「今月のアクアライフ見た?」と聞くと、「まだなんですよ」と言うので、レジで雑誌を買ってきてもらって、アクアリウムのコーナーで、新着魚のページを一緒に見ました。そして、お客さんからは、「この魚、載っていたけど、いつ入荷するの?」と、必ず聞かれました。ブリストル・シュブンキンのような、イギリスで繁殖に成功したハート型の尾びれの金魚も、そうして話題になりました。

新種は、みんなで試して、正解に近づいた

新種の魚が出ると、みんなで現地の水温や水質を再現して、飼育や繁殖を試していました。ところが、実は、そこがたまたま魚が採れた場所で、本来の生息域ではなかった、ということが、よくありました。

たとえばコリドラス・バルバータスは、いまでは低水温を好む魚として知られていますが、私は、それを、あとから雑誌の記事で知りました。強い水流が好きだということも、あとから知ったことです。それまでは、低水温でも強い水流でもない環境で、飼っていました。ちなみに、調べてみると、リオデジャネイロ産の個体は30度近い水温にも適応する、という専門サイトの記述もあり、産地によって耐性が違う可能性があります。

バイランディ(Sphaerichthys vaillanti)は、チョコレートグラミーの仲間のアナバスで、当時は飼育も繁殖も難しいと言われていました。日本への入荷の時期は、資料によって、1997年とも2003年とも書かれていて、はっきりしません。繁殖のしかたは、のちに、中性に近い水質でも殖えるという報告が出てきて、昔ほど難しくないと言われるようになりました。

インペリアルゼブラプレコ(L046)も、繁殖が試行錯誤されていた魚です。ブラジルが野生個体の輸出を禁止したのは、2004年ごろ(資料によっては2005年)とされています。ブリード個体がショップに出始めたのは、2005年から2006年ごろです。私の記憶では、当時の最安値は2980円で、柄がきれいなわりに、安くはないけれど、高くもない位置づけでした。ただし、当時の価格を裏づける資料は、見つかっていません。

機材は、いまとまったく違った

当時の機材も、いまとは違います。私の記憶では、LEDの照明は、まだまったくない時代でした。水銀灯やハロゲンが、少しずつ小型化して、買いやすくなってきた、という段階です。水草を育てるには強い光が要りますが、電気代と熱が問題になるので、「水草と電気の戦い」でもありました。

フィルターは、「どこまでいっても、エーハイムの外部フィルターが一番」と言われていました。そこに、テトラやコトブキといったメーカーも、外部フィルターを出して、導入が進んでいった、というのが、私の記憶です。CO2添加は、私は、業務用のボンベ(通称ミドボン)を酒屋さんで借りて、使っていました。

新しい機材や薬品の広告が、雑誌に載ったときも、お客さんとよく盛り上がりました。「これってほんまにいいの?」と聞かれて、うちの店で取り扱いのないメーカーなら、仕入れのルートを探したり、サンプルをもらったりして、お店で試していました。そのころ話題になった、コケを抑える製品に、バイコムのアルジガードがあったと記憶しています。餌でも、キョーリンの咲ひかりのような、新しい製品が出てきた時期でした。

時代の空気

そのころは、ペットブームの真っただ中でもありました。2002年の夏から、アイフルのチワワのCMが放映されて、チワワの一大ブームが起きています。そのあとに、ハリー・ポッターが流行って、白フクロウのような猛禽類が注目され、爬虫類や小動物も含めた「エキゾチックアニマル」が、世の中に知られるようになりました。アクア業界も、その流れで、少し盛り上がっていました。

私が小学生だったバブルのころは、サティ(いまのイオン)にまで、熱帯魚屋のテナントが入っていました。それに比べると、当時のアクア業界は、下火でした。神戸には、阪神・淡路大震災で、水槽のことで大変な思いをして、アクアリストをやめた人も多くいました。

だから、私のお店では、「売ること」よりも、「アクアリストを増やすこと」を大事にしていました。買いやすい魚を、他の店よりたくさん仕入れて、安く出す。たとえばコリドラス・パンダは、1匹380円、10匹で2980円にして、入門の値段に仕上げました。「全部買うから」と言って、1000匹単位で入荷して、1万匹どころではない数を売りました。

進化なのか、退化なのか

いまは、機材も、情報も、魚も、すべてが変わりました。ただ、全部が進化とは限りません。

情報の量は、圧倒的に増えました。そのぶん、本当に正しい情報かどうかを、使う人が、取捨選択しなければならなくなっています。ところが、鵜呑みにする人が多い、という印象があります。昔は、情報が少なかったので、全員が同じ方法を試して、「違うやん!」と、すぐに気づくことができました。いまは、人によって試す方法がバラバラなので、間違いが、検証されないまま残ってしまいます。

情報が少なかった時代は、世の中全体が、ひとつの大きな実験場だったのかもしれません。